皆さん、こんにちは。
Matephysiです。

いかがお過ごしでしょうか。

今日は山本七平氏の著作「空気の研究を紹介します。

皆さんも普段の生活の中で、
「空気読む」
というフレーズを聞いたことがあるかと思います。

自分に対しても、相手に対しても、
どこかで「空気を読む」ことを求めていて、
それができない人をKY(空気が読めない人の頭文字)と言った時代もありました。
(今となっては時代遅れでしょうか。。。)

日本に蔓延る、何とも形容しがたいその「空気」を取り上げたのが
この著作です。

我々を否応なしに飲み込む「空気」を言語化し、
認識対象として分析したい人
そのような日本人の特性について知りたい人

はぜひ、読んでみてください!
日常生活で遭遇する不可解な現象を高い解像度で眺めることができるようになると思います。

本書の感想

著者の山本七平氏は評論家で、いわゆる戦後の知識人の一人です。

そんな彼が日本人の最も優れた点であり、そして特に最大の弱点となる
「空気」
を時事的な出来事を用いて分析しています。

日本を分析している本を多少読んだことがある人は分かると思いますが、
この本は様々な分野で参照されています。

著者は大学の専門家でないにも関わらず、です。

もちろん、著者が戦中戦後を生きた人物であるという背景はありますが、
今はなき、広い視野で深い洞察を行い知識人の姿のカッコよさを垣間見ることができました。

本書で取り上げられている時事的な出来事に関しては
やはり当時の状況をあまり知らないためか、
実感が湧かず、少し読みづらさを感じました。

しかしながら、そのような出来事を分析して抽象化した概念は納得するものばかりで、
具体から抽象へと昇華する著者の分析力の高さに感服するばかりでした。

そのような観点から、おススメ度は

★★★★★

です!

ぜひご一読ください。

空気の支配とは何か

自分自身の経験を振り返ってみると、
「空気を読む」とは次のことではないでしょうか。

すなわち、
相手の状況を考慮すること
背後には何かあるに違いないと察すること

です。

山本七平氏はこのような感覚を「臨在感的把握」と呼称しています。

臨在とは、キリスト教用語で、
神の存在は認識不可能である一方で、神はそこに存在すること
を意味します。

したがって、臨在感的把握とは、

物質から何らかの心理的・宗教的影響をうける、
言いかえれば物質の背後に何かが臨在していると感じ、
知らず知らずのうちにその何かの影響を受けるという状態

p34

のことです。

そして、この臨在的把握を絶対視することで、空気が形成されると、
彼は指摘しています。

空気を読むのは日本人だけなのか

よくある話ですが、
日本人は空気を読むが外国人は読まない
という通説があります。

本当にそうでしょうか?

外国で生活したことのある方であれば、これが嘘であることはすぐに分かると思います。
言語化は難しいのですが、少なくとも僕の友人は
日本人と同等かそれ以上に気を使っています。

文化や習慣などで違和感を覚えることはあっても、
それは外国人に限った話ではなく、日本人でも同じです。
決して空気を読んでいないから変なわけではないのです。

だとすると、なぜこのような噂話が出てきてしまうのでしょうか。

それは、空気に対する姿勢が異なるからだと思います。

日本人は
各人が他人を思いやって醸成される「空気」こそ優先されるべきで、
実際に何を思っていたのかは重要ではない

と考えがちですが、
西欧圏の人は
その「空気」が本当に各人の状況を反映しているのかについて、
意見を出し合って調整することこそ優先されるべきである

と考えているのではないでしょうか。

この日常的に発見される差異の感覚を、山本氏は
西欧における「多数決の原理」の重視
という観点から説明しています。

「空気」vs「多数決」

古代ギリシア以降、最も民主的な意思決定方法は
多数決」であると考えられています。
そして、西欧圏は長い多数決の歴史を有しています。

もちろん、多数決の矛盾や多数決が成立する条件、
さらに範囲を広げて、民主主義の是非など、
現在でも答えが出ていない問題は多いです。

ここでは、あくまで一般に理解されているような
あらゆる可能性を検討した後に残るであろう複数の選択肢を
平和的に決定する手法

としての多数決という認識でいいと思います。

山本氏は、多数決において「空気の支配」は致命的であると指摘しています。

もちろん、これは言うまでもありません。
複数の選択肢の中から選ぼうと言っておきながら、
実は最初から正解は決まっていたとなれば、
本当の意味での多数決にはならない
からです。

しかし、実はこの手の多数決は、
日本でよく行われているのではないでしょうか。

山本氏はこの事実を歴史的に洞察しています。

(前略)また、先進国模倣の時代は、先進国を臨在感的に把握し、
その把握によって先進国に「空気」的に支配され、
満場一致でその空気支配に従っていれば、
それで大過はなかった。
否、その方がむしろ安全であったとさえいえる。

p83

すなわち、

海に囲まれた島国で、おおよそ単一の民族からなる日本においては
長らく外部からの圧力によって決断を迫られる機会が少なったために
国や組織集団のためのより良い選択を限られた時間の中で選択する危機感がない

そのために多数決をするにしても、空気に流されるにしても
どちらでもよかった

ということでしょう。

では、西欧圏ではどうだったのでしょうか。

だが中東や西欧のような、滅ぼしたり滅ぼされたりが当然の国々、
その決断が、常に自らと自らの集団の存在をかけたものとならざるを得ない国々
およびそこに住む人びとは、「空気の支配」を当然のことのように受け入れていれば、
到底存立できなかったであろう。
そしておそらくこのことが、対象をも自らをも対立概念で把握することによって虚構化を防ぎ、
またそれによって対象に支配されず、対象から独立して
逆に対象を支配するという生き方を生んだものと思われる。

p83-84

すなわち、決断の速度と精度が問われる西欧圏では
一つの決断ミスが種の存続を左右する
したがって、決してミスがないように正当に決断するためには
空気は破壊する必要があった

ということでしょう。

以上のことから、
日本は空気を絶対視して受容する文化であるのに対して、
西欧圏は空気を相対化して分解する文化である
と言えます。

また、以後本章では聖書を引用して
西欧圏における相対化の文化を紹介しています。

聖書は、日本人にとって全く馴染みのないものですが、
西欧圏の人々にとっては確かに根底に存在している重要な文献です。

本書で取り上げられた聖書の概略は
西欧文化とは何か、その対立項としての日本文化とは何か
を考える上で必要な教養
だと感じました。

あまりに引用しすぎるとネタバレになってしまうので、
気になる方はぜひ購入してご一読ください!

終わりに

さて、これまで山本七平「空気の研究」を紹介しましたが、
どのような内容の本なのかご理解いただけましたでしょうか。

なんとなく分かるような、分からないような「空気」を題材にしているためか、
その説明もまた、分かるような分からないような感じがします。

しかしながら、本書のその高い抽象度故に、
彼の分析はあらゆる対象に対して適用可能
です。

山本氏の指摘する「空気の支配」が具体的にどのようなものなのかを知るための
共通の具体例として、
最近Amazon Primeで公開された映画ノイズ[noise]
が挙げられます。

本書と共に、映画もぜひご覧ください!

空気の研究という観点から見たこの映画の感想は次回投稿しようと思います。
お楽しみに!!

ご覧いただきありがとうございました!
是非、次回の投稿もお楽しみに!

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