皆さん、こんにちは。
Matephysiです。
いかがお過ごしでしょうか。
さて、前回の記事では山本七平「空気の研究」を紹介しました。
どのような内容の本なのかご理解いただけましたでしょうか。
巷では有名な著作ですので、
気になった方はぜひご一読ください。
なんとなく分かるような、分からないような「空気」を題材にしているためか、
その説明もまた、分かるような分からないような感じがします。
しかし、裏を返せば、本書のその高い抽象度故に、
彼の分析はあらゆる対象に対して適用可能であるということです。
山本氏の指摘する「空気の支配」が具体的にどのようなものなのかを知るために、
今回は、最近Amazon Primeで公開された映画
「ノイズ[noise]」
を共通の具体例として取り上げようと思います。
もちろん、予告編を超えたネタバレはしないので安心してご覧ください。
また、本と合わせて、映画もぜひご覧ください!
この映画は
黒イチジクで町おこしをしようとする主人公が事件を起こし、
隠ぺい工作をする過程で生じる出来事や心理描写を
スリル満点に描いたサスペンスです。
主人公やその周辺人物の心理状況に注目してドキドキしながら観賞することもできますが、
今回は彼らが置かれた状況に着目
したいと思います。
目次
島の空気の完成
まず、舞台となる島では、多少の犯罪事は警察の忖度によって解決したとして
もみ消されていました。
その結果、島は犯罪のない町として有名でした。
田舎ではよくある、「ムラの論理」というものが存在していたようです。
そこへ町おこしのために主人公が帰省します。
主人公の町おこしを町長を筆頭に全員で応援するのですが、
その理由は国から5億円もの補助金が出るからです。
補助金を目当てに、主人公は「島の未来」という大義名分を与えられ、
彼の行動が絶対善として扱われる空気が醸成されていきます。
故郷を思う町民の強い思いが主人公の神格化によって現出し、
あくまで意図的に行われていた隠蔽の結果である犯罪のなさも
その島特有の必然的な出来事として認識されていきます。
ただし、この段階では
島の論理で形作られた団結力も、あることには効力を発揮していませんでした。
それは、町おこしの一環として本土から人を呼ぶか否かという点です。
この点に関しては島民の内部でも意見が分かれています。
人の往来の必要性を否定する人は、
これまで島で行ってきた不合理な物事が明らかになることを恐れていました。
すなわち、この時点では、町民の中にも理性的・中立的な人間が存在し、
あくまでメリット・デメリットを理解したうえで
不合理な島のルールを適用していたと考えられます。
しかしながら、補助金獲得のために主人公を絶対善として扱わなければならない
という空気の支配が強まるにつれて、
不合理なことを行っていたという事実はないものとされ、
外部から人を呼び込む必要はないという意見は強く非難されます。
部外者の論理(ノイズ)の混入
補助金獲得に向けて島独自の論理で一致団結していたのも束の間、
ある事件を調査するために本土から県警という部外者が来ます。
もちろん、本土から来た県警の方には島の論理は通用しません。
すなわち、島にとって彼らの存在はノイズです。
補助金獲得に向けて一致団結していたにもかかわらず、
外部のノイズが自分たちのルールをめちゃくちゃにしようとしている
そのように感じた町民たちは、島の調和を乱す「ノイズ」を排除しようとします。
絶対化と相対化
もちろん、上述の説明はあくまで舞台設定です。
実際に映画で描かれた出来事などはネタバレになるので触れていません。
気になった方はぜひ映画をご覧ください!!
ただ、最後にもう少しだけ踏み込んで、
映画で取り扱われた「空気」について紹介したいと思います。
山本七平氏も「空気の研究」で触れていた通り、
空気に支配された人間とそうでない人間との間にある決定的な違いは、
物事を絶対化しているか、相対化しているか
です。
この対比は映画でも次のようなセリフに表れています。
主人公は次のように言います。
すべての悪事は島のためにやっているので許してください。
すなわち、主人公は
島のためという絶対的善のために行った行為は許されてもよい
という空気に支配されているのです。
町民たちも、島の未来を託された主人公が島のためにやっているのだから許すべきだ
という主人公の絶対化という空気によって支配されているので、
この主張を甘んじて受け入れてしまいます。
その一方で、県警は次のように言います。
世の中には平然と嘘をつく人間が存在する。
でもな、誰もがそうなり得るんだよ。
すなわち、空気の支配を認識し否定しながらも、
その影響力の強さを理解しています。
島のルールが通用しない部外者としての県警は、
そのような認識によって空気の支配を相対化しているのです。
終わりに
映画「ノイズ [noise] 」の枠組みを「空気」という観点で考察してみました。
皆様の興味を少しでも刺激できていたら幸いです。
映画では藤原竜也さんをはじめとする俳優陣の演技力がすごすぎて、
ノンフィクションドキュメンタリー番組を見ているかのようでした。
そして、山本七平氏の「空気の研究」は日本人の心理を的確に表現した名著で
これを読んだ後は、あらゆるところに「空気の支配」を見出せるようになります。
何か特殊能力を授かったかのような錯覚に陥ってしまいそうになるほどです!笑
もちろん、「空気」は使いようによっては強大な力を発揮します。
大事なのは使い方ではないでしょうか。
空気に支配されたとしても、それを俯瞰的に自覚し、
必要に応じてその空気の外に出ることができる状態を維持することが重要だと思います。
すなわち、空気に無自覚に、
独善的な絶対善を押し付ける
伝統、法律、ルールだからと、それらから逸脱した人を攻撃する
のではなく、また、あらゆる空気に敏感に反応して
日本人の特性からはかけ離れた例に基づき現状をただただ否定する
集団を頼って生きることを否定し、全て個人の問題へと還元する
のではなく、
それぞれがおかれた状況を考慮し、個々人が最大限の能力を発揮できるように
時には空気を利用し、時には空気を取り除く
ことが必要なのではと思います。
そして、どのような条件において空気の利用と排除を行うべきかを
正しく議論できるような「空気」が作られればいいなと思います。
ご覧いただきありがとうございました!
是非、次回の投稿もお楽しみに!